【大相撲】「一門」とは?役割や種類など詳しく解説!
角界において「一門」は、非常に重要な意味を持ちます。基本的に相撲部屋はどこかの一門に属さなければならず、力士の稽古などにも影響があります。
当記事では、一門について分かりやすく解説しているので、気になった方はどうぞ寄ってってください!
「一門」とは?
大相撲における「一門」とは、複数の相撲部屋をそれぞれにまとめた一種の連合体、派閥。近年においては、連合稽古や冠婚葬祭などの行事は、全てこの一門の内で実施される場合がほとんどです。また、日本相撲協会の役員をきめる理事選挙においても、重要な意味を持ちます。
なお、相撲以外の歌舞伎や将棋・囲碁の世界にも一門が見受けられますが、その意味合いはほぼ同じです。
宗家と分家
基本的に一門は、弟子が師匠から独立した部屋の縁続きから成り立ち、「宗家」と「分家」の関係が見受けられます。例えば時津風一門は、宗家の時津風部屋を中心に、分家の湊部屋、陸奥部屋といった相撲部屋からなる一門です。
一門は日々変化
相撲部屋が一門に所属、脱退することもあれば、一門そのものが新たに誕生、もしくは廃れて解散してしまうといったように、一門は時代に応じて絶えず変化しています。
最近だと2010年に新たに貴乃花一門が誕生するも、長きはせず2018年に一門は解散しています。
一門系統別部屋総当たり制は廃止
過去には、一門同士の力士との取組は出来ない「一門系統別部屋総当たり制」が実施されていましたが、1965年1月場所に廃止されています。
代わりに現在では、同じ所属部屋同士の力士との取組が禁止(同成績の優勝決定戦などは除く)となった「部屋別総当たり制」で、場所が開催されています。
一門の始まり
一門、その起こりを探っていくと、過去に実施されていた「巡業」にいきつきます。
現在の巡業といえば、相撲協会に所属する“全て”の力士が現地へと向かいますが、元々巡業は、交通の便がまだ発達していない時代、各々の場所へいくつかのグループへ分かれて巡業を実施するのが一般的でした。
そうしたなか、巡業で一緒になったグループは結束を固め、それが「組合」となって一門が形成されます。つまり、一門とは、過去に各グループに分かれて実施していた巡業の名残が、今日に残っているというわけです。
一門一覧
現在(2020年8月13日)、角界に存在する一門は全部5つ。各一門の特徴を踏まえつつ紹介します。
出羽海一門
明示末期の19代横綱・常陸山が起こした由緒ある一門。かつては分家の独立はゆるさないといった不文律があったものの1981年の武蔵川部屋の独立を気に一気に広がりを見せています。
二所ノ関一門
1935年に、当時現役だった32代横綱・玉錦が興した二所ノ関部屋が開祖となる一門。玉錦死後は、積極的に分家の独立を奨励し勢力を拡大しています。両国系と阿佐ヶ谷系の2つの流れをくむのもこの一門の特徴です。
時津風一門
そのおおもとは、最強力士の一人に上げられる69代横綱・双葉山が現役に打ち立てた「双葉山相撲道場(後の時津風部屋)」。その後、江戸時代から続く伊勢ノ海部屋や明治期の横綱・西ノ海(初代)の流れをくむ井筒部屋が一門となり、主に時津風、伊勢ノ海、井筒の3系統があります。
高砂一門
明治の始め、「高砂改正組」と呼ばれる角界改革の先頭に立った高砂浦五郎が創設した高砂部屋が開祖。現在だと最も歴史ある一門となります。1967年には出羽海一門を破門された九重部屋を一門に入れ、高砂、九重系のどちらかの分家が独立して現在に至ります。
伊勢ケ浜一門
縁がそれほど深くなかった相撲部屋が、各一門に対抗する、その必要性ゆえに誕生したという点で伊勢ケ浜一門はやや特殊な一門といえます。それゆえ他の一門への移籍や再復帰など一門の動きが活発です。もともとは4代立浪の創設した立浪部屋が一門のはしりで、伊勢ケ濱系、高島系、朝日山系など4系統の流れをくんでいます。
総括
一門は、複数の相撲部屋をそれぞれにまとめた一種の連合体、派閥。
主に連合稽古や冠婚葬祭が一門の主な活動となる。くわえて理事選挙でも一門は重要な意味を持つ。
一門は、過去に巡業で分かれていたグループから誕生したもの。
力士の所属部屋だけでなく、部屋がどこの一門に属しているのかも知ると、部屋の特徴がよりはっきりとわかってきます。ぜひ調べてみてください!
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