【大相撲】「二所ノ関一門」を徹底解説!特徴や部屋の系統など
一門のなかでも多数の相撲部屋が所属するのが二所ノ関一門です。当記事は、二所ノ関一門の特徴を踏まえつつ、独立した部屋の系統や所属する相撲部屋などについて詳しく解説しています。気になった方はどうぞ寄ってってください!
「二所ノ関一門」とは?
「二所ノ関一門」は、32代横綱・玉錦が1935年1月に再興した二所ノ関部屋を祖とする一門です。
宗家本流的の出羽海一門とは対照的に、分家独立を積極的に行い一気に勢力を拡大した歴史をもちます。特に昭和戦前戦後にかけては、その繁栄を極めています。
また、分家独立が多いゆえに部屋の継承がされずに吸収合併がよくあるのもこの一門の特徴。近年においては、千賀ノ浦部屋、錣山部屋、湊部屋といった別の一門からの移籍も珍しくありません。
本場所前には、一門の関取衆らで連合稽古が実施されるのも二所ノ関一門ならでは。
一門の系統
二所ノ関一門の相撲部屋は、大きく分けて宗家の二所ノ関部屋の流れと、二所ノ関部屋から初めて分家独立した芝田山部屋を流れとする2系統に分けられます。
また、それぞれの部屋の立地から、二所ノ関部屋を流れとする部屋は「両国系」、芝田山部屋は「阿佐ヶ谷系」と称せられます。(ただし、現在は移転、合併をへて阿佐ヶ谷には相撲部屋がない。)
二所ノ関一門は、1950年代以降、両国系、阿佐ヶ谷系ともに部屋の独立が相次いでおり、両国系は、佐渡ヶ嶽部屋、片男波部屋、大鵬部屋、押尾川部屋、阿佐ヶ谷系は、放駒部屋、花籠部屋、二子山部屋といったように多くの部屋が一気に独立しています。
また、初代・若乃花が創設した阿佐ヶ谷系の二子山部屋からは、その後さらに藤島部屋、間垣部屋、鳴戸部屋、松ヶ根部屋、荒磯部屋、貴乃花部屋といった部屋の独立がなされており、一門の勢力がさらに伸ばしていることが伺えます。
貴乃花一門の転籍
近年においては、貴乃花部屋が主導のもと新たに貴乃花一門を築いて、大嶽部屋、阿武松部屋、間垣部屋がそのまま転籍しています。
その後は、貴乃花一門の消滅ともに大嶽部屋、阿武松部屋の二所ノ関一門への復帰、さらに元々時津風一門だった錣山部屋、湊部屋、出羽海一門の千賀ノ浦部屋が貴乃花一門を経て二所ノ関一門へと転籍するなどこれまでにはなかった様相をみせています。
二所ノ関一門の相撲部屋
現在(2020年8月27日)のおける二所ノ関一門に所属する相撲部屋は以下の通り。
大嶽部屋、佐渡ヶ嶽部屋、片男波部屋 、峰崎部屋、田子ノ浦部屋、尾車部屋、二所ノ関部屋、阿武松部屋、芝田山部屋、湊部屋、高田川部屋、錣山部屋、千賀ノ浦部屋、鳴戸部屋、西岩部屋
分家独立を推奨した一門だけあって、一門には多く相撲部屋は所属しています。近年においても、鳴門部屋、田子ノ浦部屋、西岩部屋といった部屋の独立が盛んであることに変わりありません。
総括
二所ノ関一門の相撲部屋を大きく見ると、二所ノ関部屋から独立した部屋(両国系)と、芝田山部屋から独立(阿佐ヶ谷系)した2つ系統に分けられます。また、一時、貴乃花部屋から貴乃花一門が誕生したことにより、部屋の転籍が相次いだことも一門の大きな転換期だったと言えるでしょう。
おそらく今後も独立や吸収合併を繰り返しながら、一門が存続していくのは間違いありません。
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