【大相撲】力士の「休場」について知ろう!休場して優勝した力士も!

当記事では、力士の休場について詳しく解説しています。休場について今一度きちんと知っておきたいという方は、どうぞ寄ってってください!

力士の「休場」

「休場」とは、ずばり、怪我などを理由にその場所を休むこと。

場所中の取組でどこか怪我をして、その後の取組を出ずに途中休場する、あるいは場所前に怪我をしてその場所全てを休場といったことは相撲の世界ではよくある話。怪我による休場には、医師の診断書が必要です。

休場した場合は、基本的には全て黒星扱いとなります。ですから、仮に1場所を全休したら15敗扱いとなり、番付を大きく下げています。ですから、力士にとって休場は痛恨の痛手。

特に角番の場合は、何としても勝ち越さないといけないので、少なくとも場所前の途中休場はほぼありません。

また、途中休場で、その日対戦が決まっていた相手力士は不戦敗となります。

かつては、休場しても番付の落ちない公傷制度なるものが存在していましたが、現在は廃止されています。

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横綱は休場が多い?

休場は力士にとって何が何でも避けたいことの1つですが、唯一の例外が存在します。それが、横綱です。

ご存知の通り、横綱は負け越しても番付の下がらない唯一の階級です。それゆえ、聞こえは悪いながら、それを上手く利用して、休場を繰り返して体の負担を少なくするといった方法もあります。

近年だと、白鵬や鶴竜がまさにそれ。確かに休場明けには優勝、もしくは優勝に相当する成績を収めはしていますが、横綱の品格の部分では疑問の余地が残ります。実際、あまりにひどいゆえか協会からの「注意」を受けています。

また、貴乃花のように大怪我をして1年以上の休場を余儀なくされたこともありましたが、結局すぐに引退しています。

横綱が特権階級と言えばそれまでですが、それでも休場は少ないに越したことはないです。何より他の力士にも示しが付きません。

休場して優勝した力士も

何と!過去には場所を休場しながらも、そのまま優勝した力士が2人います。

その力士とは、ご存知、輪島と千代の富士。ともに横綱として多くのファンを魅了し、今でも根強い人気を誇る力士です。

輪島は、1973年11月場所の12日目に指の怪我をし、出場が危ぶまれます。ただ、この時までに12連勝を記録しており、さらに13日目にして優勝争いの力士負けて優勝が決まったこともあり、翌14日から休場し、そのまま千秋楽も休場しています。千秋楽では、優勝力士が表彰に現れない珍事も。

対する千代の富士の休場優勝は、1989年の3月場所。14日までにして実に14連勝と負けなしでそのまま優勝を決めています。ただ、14日目の取組でたびたび発症していた肩を脱臼。そのまま千秋楽を休場しています。ただ、輪島とは違って、表彰式にはテーピングを巻きながらも出場しています。

総括

休場をしてしまうと、取組が全て負け扱いとなって、番付を大きく下げてしまいます。

その最たる例としては、照ノ富士があげられます。一度は大関に上り詰めるも、怪我と持病によって休場を余儀なくされ、一時は序二段までに番付を下げています。

ただ、その後に再び幕内に復帰して、おろか優勝まで果たしたのは、ただただ頭が下がるばかりです。