【大相撲】「三段構え」って何?起源やその流れなど

三段構えとは、昔から大相撲で行われている1つの儀式。滅多に見られない儀式としても知られています。

当記事では、三段構えの具体的な型やその流れ、さらにはその起源などについて詳しく解説しています。気になった方はどうぞ寄ってってください!

「三段構え」とは?

相撲における三段構えとは、上段・中段・下段の3段からなる一連の所作を指し、昔から続く相撲の伝統的な儀式の1つ。

基本的に番付最高位の力士2により実施されるため、今日においては横綱2名が三段構えを披露する場合がほとんどです。

ちなみに近年だと、2016年10月4日実施された国際文化交流イベント「大相撲beyond2020場所」にて、横綱・日馬富士と横綱・鶴竜が、実に20年振りにとなる三段構えを披露し、2017年10月4日の同イベントでも横綱・白鵬と横綱・稀勢の里が三段構えを行っています。

三段構えの流れと型

三段構えは、力士2名が土俵にあがった後、初めに「本然の体(開口)」と呼ばれる上段の構え、次に「攻撃の体(方屋開き)」となる中段の構え、そして「防御の体(結びの構え)」の下段の構えといった順序での披露となります。

具体的な型については、上段の構えは、両力士が向き合って立った状態から、両足を開き、互いに向き合う手のひらを向けた片手を肩の位置に差し伸べ、もう片方の手はちょうど胸の下のあたりに添えます。

中段の構えは、上段の構えから、腰を少し落として膝をやや曲げた状態にし、手は先と同様に片方を差し出し、もう片方をお腹のあたりに添えます。

そして、下段の構えは、手は先と同様の状態のまま、中段の構えからさらに腰を深く落として向き合います。

起源

三段構えは、かつての相撲の家元・吉田司家、その23代目にあたる吉田追風が考案者と言われています。

そして今日おいては、吉田追風が、第19代横綱・常陸山と第20代横綱・梅ヶ谷に三段構えを伝えたのがその起源とされています。

常陸山、梅ヶ谷ともに1903年6月ごろに横綱の免許を授与されているので、三段構えが披露されたのもこのぐらいの時期だと推測されます。

横綱の免許について以下記事をご覧ください。

記事:【大相撲】横綱には「免許」があった!?意外な事実や起源など詳しく解説!

三段構えは特別な行事にしか披露されない

三段構えは、特に実施日が定められているわけではなく、何か特別な行事でもない限り、滅多に披露されません。

事実、先に紹介した「大相撲beyond2020場所」の三段構えも20年振りの披露であり、それ以前にも不定期で行われています。

ですから、次回いつ三段構えが行われるのかは、誰にも分かりません!

総括

  • 三段構えは、上段・中段・下段の3段からなる一連の所作を指し、昔から続く相撲の伝統的な儀式の1つ。
  • 基本的に番付最高位力士2名が行う。
  • 23代目吉田追風が考案者とされ、第19代横綱・常陸山と第20代横綱・梅ヶ谷に伝えたのが起源。
  • 三段構えは、不定期に行われる。

三段構えは、滅多に見ることができません。見られる機会があればかなりラッキーです!