【大相撲】「賜盃(しはい)」とは?重さ・大きさ、誕生秘話など詳しく解説!

2019年4月24日

幕内優勝者に授与される「賜盃」。その表彰シーンは、TVでもよく流されているため、1度は目にした方も多いはず。

実はこの賜盃、歴史的にみて非常に重要な意味合いをもつものでもあります。当記事では、それらを踏まえ、賜盃の大きさや重さなどをより詳しく解説しています。気になる方はどうぞ寄ってってください!

幕内優勝者に与えられる「賜盃」

「賜盃」は、大相撲の幕内で優勝した力士が、表彰の際に授与される一種の優勝杯です。その位置付けは、天皇より下賜される「天皇杯」となり、表記は「賜杯」ではなく「賜盃」が用いられます。また、賜杯は持ち回り制となっており、優勝者には賜盃を型取った銀製の記念カップも同時に授与されます。

【画像】賜杯拝戴「日本相撲協会」公式ツイッター

なお、天皇杯は、競馬、テニス、野球などその他競技の大会優勝者にも授与され、今日においてはもっぱら下賜される大会名そのものを指す場合のことの方が多いです。また、その表記が「賜杯」ではなく「賜盃」であることも、天皇杯であることが大きく関わっています。

ちなみに幕内優勝力士の表彰では、賜盃とは別に「内閣総理大臣杯」という賜盃よりさらに大きな優勝杯も授与されますが、賜盃をこの内閣総理大臣杯と勘違いしてしまう方も少なくないので注意!最初に授与されるが賜盃で、その次に授与されるのが内閣総理大臣杯です。

大きさ、重さ、その他特徴は?

大相撲における賜盃の大きさ、重さ等に関しては、高さ1.1m、重さ29㎏の純銀製となっており、表面には桜花の上に菊の紋章が施され、その下に「摂政殿下賜盃」と刻まれています。

また、賜杯の最下部にあたる木製部には、各場所の優勝力士の四股名を刻んだ銀製の名札が付けられており、78人で一巡するようになっています。

賜杯誕生から授与に至るまで

大相撲の賜盃は、1925年4月29日、東宮御所で行われた摂政宮(昭和天皇)の台覧相撲の下賜金で制作されたものです。そこには、関東大震災や他の近代スポーツなどの興隆で苦境にあった相撲界を打破したいといった思いが込められています。

また、当時の大相撲は、東京(東京大角力協会)と大阪(大阪大角力協会)に2つの協会から成り立っていましたが、東京大角力協会だけが賜盃を独占するのは畏れ多いとの理由で協会が合併し、大日本相撲協会が誕生したといった経緯もあります。

そして、翌1926年1月場所には、幕内優勝者の横綱・常の花に賜盃が授与され、個人優勝制度を確立させたきっかけにもなっています。それ以前だと、まだ東と西対抗の団体優勝しか制定されていません。

以上より、賜盃の誕生は、大相撲協会をまとめ上げ、加えて個人優勝制度を確立にも一役買ったという、歴史的に見ても重要な意味を持ったものだということが分かります。

総括

賜盃は、幕内優勝者の表彰の際に与えられる天皇杯もしくは優勝杯となりますが、それよりさらに大きい「内閣総理大臣杯」とはまた別物なので注意してください!表彰でも優勝杯を連続して2つ渡しています。

あと、賜杯の誕生は、協会の合併、個人優勝制度を確立といった2つの大きな意味を持つことにも覚えておきましょう!

参考文献:日本相撲大鑑