【大相撲】「天覧相撲」とは?「御前掛かり」やその始まりなどを徹底解説!
場所中、天皇が大相撲の観戦に来られることがありますが、これがいわゆる「天覧相撲」です。
当記事では、その天皇相撲にしか行われない特別な土俵入り「御前掛かり土俵入り」や、天覧相撲の始まった時期について初心者の方にも分かりやすく解説しています。気になる方は、どうぞ寄ってってください!
「天覧相撲」とは?土俵入りが違う
「天覧相撲」とは、天皇が観戦する相撲のこと。天覧とは、“天”皇がご“覧”になることを意味します。また、天皇以外の皇族の方がお見えになる場合は、「台覧相撲」と言います。
天覧相撲は、基本的に両国国技館にて行われ、天皇は皇后をつれて、幕内の時間になってお見えになられます。
テレビ中継などで、天皇が両国国技館正面にある特別な席で観戦しているのを見たこともある人も多いはず。
また、通常とは進行の仕方もやや異なり、天覧相撲のときだけ披露される「御前掛かり土俵入り」もその1つです
ただし、天皇が幕内後半から来られる場合は、土俵入りは通常の略式のまま。
他にも結びの一番は立行司が結びの一番でいう「この相撲一番にて本日の打止」も「この相撲一番にて結びに御座ります」といった細かな違いも所々で見受けられます。
そして弓取り式を終えた最後に、天皇は退席となります。
御前掛かり土俵入りの流れ
御前掛かり土俵入り(御前掛かり)は、通常の行司が先導して土俵をぐるりと回る土俵入りとは大きく異なります。
まず、力士は行司の先導のもと花道で一列になり、柝(き)が入ると一礼します。再度、柝が入ると、一人ずつ土俵に上がり、天皇がご覧になる正面を向いた4列に並びます。この時、行司も正面を向いた状態で土俵にあがります。
そして、右足で2回、左足で1回四股を踏んだ後、蹲踞(そんきょ)をし、下位力士から順に四股名が呼ばれた力士は立ち上がって礼をし、土俵を下りていくといった流れとなります。
天覧相撲の実施日は?
今日において天覧相撲は、基本的に年1回、初場所の中日に行われますが、初日や13日に行われることもままあります。
場所の月に関しては、平成以降だとほぼ初場所で行われています。(例外には平成2、3年5月場所、平成9年9月場所があげられます。)
不祥事が発覚した場合は、相撲協会が宮内庁へ辞退を申し入れ、その年の天覧相撲はなしとなります。
天覧相撲の始まり
天覧相撲が最も古い記録としては、734年(天平6)聖武天皇の時代に行われた相撲節(すもうのせち)まで遡るといわれています。
ただ、現在だとこの相撲節はあくまでも宮廷儀式という位置づけとなり、厳密には天覧相撲に含めないとするとのこと。
その後、武家時代となってからは、将軍や織田信長・豊臣秀吉らの前でとる「上覧相撲」が天覧相撲に取って代わるものとして行われ、再び天覧相撲が披露されるようになったのは、ちょうど明治維新にあたる時期です。
明治天皇の初めての天覧相撲は、1868年(慶応4)4月には、大阪・坐摩神社にて京都力士が行った相撲と言われています。そしてこの天覧相撲ことこそが実質、最初に行われた天覧相撲となります。
また、明治になった1884年3月では、大掛かりな天覧相撲が東京都中央区浜離宮庭園にある「延遼館」にて行われます。
なお、今日にように国民と一緒になって、天皇が大相撲を観戦するようになるのは、1955年(昭和30)になってからのことです。
ちなみに戦前までには、2回ほど天覧相撲専用の番付が特別に作られており、「蒙御免(ごめんこうむる)」の文字が「賜天覧(てんらんをたまわる)」と書かれています。
総括
- 天覧相撲は、天皇が観戦する相撲。
- 基本的に初場所の中日に実施される。
- 1868年(慶応4)4月に大阪・坐摩神社で行なわれた相撲が、最初の天覧相撲。
初場所の観戦を考えている方は、ぜひ天覧相撲も検討してみましょう!
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