横綱の土俵入り 「雲竜型」と「不知火型」って何?

2019年5月8日

「雲竜型」、「不知火(しらぬい)型」とは、横綱土俵入りの際に行われる所作のことです。それぞれに意味があり、取組前に必ず行われる大切な儀式です。ここでは、横綱土俵入りの起源および型の意味について説明しているので、興味のある方はどうぞ寄ってって下さい。

横綱土俵入り

 横綱土俵入りの際は、「雲竜型」か「不知火型」のいずれかの所作が行われますが、その起源はおよそ200年前ごろとされています。
 
 『大相撲手帳』(東京書籍)によると「日本では古来から、新しく建物を建てる時に、その土地に綱を張り、地面を踏みして邪気を払う。」とあります。ここから横綱土俵入りへと繋がっていくのですが、元来の意味からすると土俵入りの所作は、“邪気払い”ということになります。
 
 続けざまに「四股には、邪悪なものを踏みつけて封じ込める意味がある」ので、江戸時代になると「徳川将軍への上覧相撲の際にも取り入れられるようになった。」と、そのルーツを述べています。そして、ちょうどこの時期に横綱の地位も誕生しています。
 
 その後暫くして「露払い」、「太刀持ち」も従えて横綱は土俵入りするようになります。

雲竜型

「雲竜型」は、「せり上がり」の際に左手を脇腹あたりにそえて、右手を外に向かって伸ばす「守り」を意味する型です。
 
 一般に「雲竜型」を作り上げたのは、江戸末期に活躍した第10代横綱・雲竜久吉と言われていますが、実際には第19第横綱・常陸山 谷右エ門あるいは第20代横綱・梅ケ谷藤太郎の型を踏襲しています。さらに言えば、雲竜がどのような所作をしていたかは未だ不明。
 
昭和以降を辿ってみても、この「雲竜型」を選択している横綱が圧倒的に多く、過去には栃錦、北の湖、貴乃花、朝青龍といった具合にそうそうたる面子が並びます。
 
近年だと鶴竜が「雲竜型」で、つい先日横綱になった稀勢の里もまた「雲竜型」を選択して話題となりました。
 

不知火型

「不知火(しらぬい)型」は、雲竜型とは反対に、「せり上がり」の際に両方の手を広げ「攻め」を意味する型です。その始まりは、江戸末期に活躍した第11代横綱・不知火光右衛門と一般には言われてるも、雲竜型と同じく、実際は第22代横綱・太刀山 峯右エ門の型を踏襲したものとするのが本当のところのようです。
 
また、「不知火型を選んだ横綱は短命」というジンクスもあったことから、「不知火型」の横綱は旭富士、双羽黒、若乃花(3代目)と今までに10人程度とごく一部です。事実、昭和以降に横綱になって「不知火型」を選んだ力士は、ほぼ3年以内に引退しています。
 
ですが、かの横綱・白鵬が見事にそのジンクスを破っています。加えて、同じくモンゴル出身の日馬富士もまた「不知火型」を選んでおり、こちらも横綱在位5年以上を努め、十分ジンクスを破ったといえるでしょう。
 

今後は「不知火型」の力士も増える可能性は十分に考えられます。

参考文献:日本相撲大鑑大相撲手帳

総括

雲竜型は「守り」を意味し、第19第横綱・常陸山 谷右エ門あるいは第20代横綱・梅ケ谷藤太郎の型を原型とし、対する不知火型は「攻め」を意味し、第22代横綱・太刀山 峯右エ門の型が原型となっています。

また、不知火型は短命といったジンクスは、ご存知白鵬が見事に破っています。