“栃若時代”栃錦対若乃花 名勝負5番!
生涯のライバル栃錦と若乃花は、戦後間もない日本を大いに沸かせた名横綱。両者の活躍時期は“栃錦時代”と呼ばれ、数々の名勝負を披露しています。ここでは筆者が独断で選んだ珠玉の6番をご紹介します。興味のある方はどうぞ寄ってってください。
栃錦プロフィール
四股名:大塚清→栃錦清隆
最高位:第44代横綱
身長:179cm(178㎝など所説あり)
体重:132kg
所属部屋:春日野部屋
幕内優勝回数:10回
現役時代は、決して満足な上背ではなかったものの多彩な技とねばり強さで「マムシ」の異名をとった栃錦。1954年9月場所に2場所連続優勝を果たした後に横綱へと昇進。横綱昇進当時は、栃錦を含めて千代の山、鏡里、吉葉山の4横綱が存在した。
また、生涯のライバル若乃花とは幾度となく激闘を繰り広げ、「栃若時代」と呼ばれる一時代を築き上げ、大相撲の歴史にその名をしっかりと刻んでいる。1960年8月場所を最後に引退。
引退後は親方となって、横綱・栃ノ海や大関・栃光など多くの関取を育てあげた。1990年1月に死去。享年64歳だった。
若乃花(初代)プロフィール
四股名:若ノ花 義美 → 若ノ花 勝治 → 若乃花 勝治 → 若乃花 幹士
最高位:第45代横綱
身長:179cm
体重:107㎏
所属部屋:二所ノ関部屋→芝田山部屋→花籠部屋
幕内優勝回数:10回
強靭の足腰を武器に「土俵の鬼」と恐れられた若乃花。1958年1月場所の優勝後に第45代横綱へと昇進。栃錦の引退年となった1960年には、2場所連続優勝を果たすも翌年から低迷。1962年5月場所で引退した。
現役時代からその破天荒ぶりは有名で、特に酒にまつわるエピソードが多い。結局、現役を退いて親方となった後もそれは変わることはなかった。
また、実弟には「角界のプリンス」と呼ばれ抜群の人気を誇った貴ノ花がおり、加えて若貴ブームを巻き起こした3代目若乃花と貴乃花の叔父かつ孫弟子にあたるのは周知の通り。
栃錦対若乃花生涯戦績
全34戦うち栃錦19勝、若乃花15勝
両者初顔合わせは、1951年(昭和26年)5月場所の8日目。取組は若乃花が掛け投げで白星。
栃若名勝負5番!
筆者が独断で選んだ珠玉の5番を紹介します。
1.1953年(昭和28)3月場所7日目
昭和相撲史に残る名勝負。過去5戦を経験した両雄だったが、この取組から栃若時代が到来したといっても過言ではない。途中、元結が切れてざんばら髪となった若乃花の姿が、その激闘を物語っている。
両者立ち合いから激しい押し合いとなり、まわしを切る、もろ差し狙い、投げなどの技の応酬。大相撲の醍醐味がこの取組に集約されたともいえるだろう。若乃花がざんばら髪となったのもこのときだ。
その後も一歩も譲らぬ攻防を繰り広げられ、四つの態勢になると同時に水入り。取組が再開された後は、そのまま栃錦が左外掛けで白星を上げた。
2.1955年(昭和30)3月場所千秋楽
2度の水入りが入った大相撲。立ち合いから左四つになり、栃錦が再三吊ろうとするもそのまま水入り。再開後も左四つのままと以前変わらず2度目の水入りに。最後は栃錦が二枚蹴りをするや否や、左を差してすくい投げで白星。
3・4.1959年(昭和34)5月場所 千秋楽および優勝決定戦
千秋楽までに栃錦全勝、若乃花1敗、栃錦はこれを勝てば優勝という1番。
例のごとく立ち合いから左四つとなって長い大相撲となるも、最後は若乃花が土俵に寄り切って勝ち名乗りをあげた。これにより、再び両雄での優勝決定戦組まれた。
そして、優勝決定戦でも左四つの態勢となり、若乃花が寄り切りで勝利。自身5度目の優勝を飾った。
5.1960年(昭和35)3月場所 千秋楽
栃若最後の取組であると同時に、史上初となる千秋楽まで両者全勝で迎えた一番。今日においては、栃若を語る際に真っ先に挙げられる場面となっている。
立ち合いから左四つとなり大相撲。ときおり栃錦が寄り切ろうとするも、若乃花の強靭な足腰になすすべなし。最後は反対に若乃花が寄り切って優勝を決めた。そして、栃錦は翌5月場所を最後に引退。時代の終わりを告げる一番だった。
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