栃錦対大内山~歴史に残る大一番~(1955年5月場所)
栃錦対大内山は、大相撲史に残る名勝負です。栃錦は横綱となってまだ3場所目、大内山に至っては大関初土俵で迎えた場所であり、両者ともにその地位にまだ付いたばかりの頃です。ですが、その取組内容は、地位に付いたばかりの力士とは微塵も感じさせません。この大熱戦を知らずして大相撲は語れない!
1955年5月場所あらまし
1955年5月場所は、まだ大相撲が年6場所ではなく年4場所で行われていたころだ。この時、4人の横綱が君臨しており、千代の山を筆頭に鏡里、吉葉山、そして、1月に東富士と入れ替わるかたちで栃錦が横綱になっている。この四横綱時代は、ちょうど3年間にあたる1958年まで続いている。
次いで大関には、5月場所が大関初土俵となる2mの巨体・大内山と、後に横綱となって栃錦と並んで時代を築く若乃花がいた。
5月場所は先場所、先々場所とも千代の山が優勝しており、場所前は千代の山の3連覇に大きな期待が寄せられていたと考えられる。
ちなみに身長176cmの小兵でもあった栃錦は、この時までに4度の優勝を経験していたが、横綱になってから場所を制したことはなかった。
栃錦が横綱初優勝!
5月場所は初日から波乱の幕開けとなっている。横綱・吉葉山が初日早々に若前田に敗れてしまい、その後を全休したのだ。
だが、残りの三横綱は、千代の山が4日目に黒星を喫するも、中日まで順調に勝ち星を重ねていた。また、三横綱以外にも前頭筆頭・時津山が、6勝2敗としてまだ優勝争いに食い込んでいる。場所が動き始めたのは9日目からだ。
9日目は、なんと三横綱全てが負けている。そして、千代の山、鏡里はこの日以降から負けが込んでしまう。結局、唯一持ち直した栃錦が千秋楽に14勝1敗として文句なしの成績で優勝した。また、先の時津山が次点の成績12勝2敗で殊勲賞に輝いている。
栃錦対大内山は歴史に残る名勝負!
14日目にして既に横綱として初優勝を決めていた栃錦であったが、千秋楽での大内山との取組は歴史残るほどの大一番となった。ちなみに大内山は千秋楽までに、9勝5敗として勝ち越しを決めている。
大内山は、立ち合いからこれでもかと言わんばかりに突っ張りまくる。だが栃錦も大内山の突っ張りを何とかこらえて、懐に潜り込み左下手を取ることに成功する。大内はそのままかんぬきを決めて動きをとめるも、栃錦が振りほどき再び大内が突っ張る態勢に。最後は左腕を大内山の首に巻いた栃錦が起死回生の首投げを決めて、その巨体を転げ落とした。
この両雄の戦いは、観衆の記憶から永遠に忘れ去られることがないほどの熱戦となり、未だに語り草だ。大内山と栃錦の互いに譲れない強い気持ちがこの名勝負を生んだのである。
栃錦が決めた首投げについて知りたい方は以下記事をどうぞ!
記事:決まり手「首投げ」とは?
関連作品
・「大相撲の見かた (平凡社新書)」
・「大相撲名力士風雲録 5―月刊DVDマガジン 栃錦 (ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ)」
1955年5月場所:横綱・栃錦14勝1敗(優勝)
○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
若 葉 山 |
琴 ヶ 濱 |
嶋 錦 |
若 前 田 |
玉 ノ 海 |
双 ツ 龍 |
安 念 山 |
鶴 ヶ 嶺 |
時 津 山 |
三 根 山 |
朝 潮 |
若 ノ 花 |
松 登 |
鏡 里 |
大 内 山 |
同場所:大関・大内山9勝6敗
○ | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | ● | ● |
出 羽 錦 |
玉 ノ 海 |
羽 嶋 山 |
嶋 錦 |
若 瀬 川 |
大 起 |
琴 ヶ 濱 |
若 前 田 |
朝 潮 |
若 ノ 花 |
松 登 |
三 根 山 |
信 夫 山 |
千 代 山 |
栃 錦 |
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