優勝経験なしで綱取りを果たした3人の横綱たち
現在、横綱に昇進するためには「大関で2場所連続優勝もしくはそれに準ずる成績」と条件が決められており、少なくとも1度の優勝経験がなければまずなれません。ですが、過去には優勝経験なしで綱取りを果たした横綱が3人存在します。今回は、その3人の横綱たちの紹介をしているので、興味のある方はどうぞ寄ってってください。
30代横綱・西ノ海嘉治郎(三代目)
記録上、西ノ海は優勝経験なしで初めて横綱に昇進した力士となります。横綱に昇進する際も、優勝旗手を4回務めたことはあったものの、やはり優勝していないことが問題視されました。ですが、当時は横綱が栃木山守也だけという興行的な事情もあったため、1923年初場所に8勝1敗1引(優勝同点)という成績を収めたのちに横綱へと昇進しました。
横綱昇進後の1925年夏場所で9勝2敗の成績で初優勝を果たし、1928年秋場所で引退。
38代横綱・照國萬蔵
照國は、優勝経験こそありませんでしたが、1942年春場所で13勝2敗優勝同点の成績を収めています。また、大関時代も常に12勝以上挙げるという好成績を収めており、あの双葉山も倒したことも評価されて、当時では史上最年長記録となる23歳4か月での横綱昇進を果たしました。
横綱に昇進してしばらくは「優勝なき横綱」といわれたこともありましたが、1950年秋場所において13勝2敗で悲願の初優勝を果たします。さらに翌場所の1951年春場所では、15勝全勝優勝を飾り、見事連覇を果たしています。1953年春場所で引退。
60代横綱・双羽黒光司
優勝が1度もなく現役を引退した横綱は、後にも先にも双羽黒だけです。横綱昇進の直前2場所に12勝3敗、14勝1敗(優勝決定戦で千代の富士に敗れる)と好成績を収め、さらに当時はまだ22歳だったこともあって、将来性も加味されての横綱昇進でした。
しかし、期待とは裏腹に双羽黒は、師匠との折り合いの悪さを理由に突然の引退を表明。横綱昇進してからわずか8場所後の出来事でした。これに伴い双羽黒は、横綱として優勝経験がなく引退した初の力士ともなりました。引退後は、プロレスラーへと転向しています。
総括
西ノ海の例のように、当時の状況が横綱に昇進の後押しになった例も存在します。現在では、2場所連続優勝という明確な基準が提示されていますが、それも時代とともに変わる可能性は十分に考えられます。
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