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【大相撲】大の里の父親は元力士?職業は?父と子と絆

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今を時めく大の里。その父との絆は彼を語る上で欠かせません。当記事では、そんな大の里の父親について紹介しています。父親についてはもちろん、2人の関係を表すエピソードがいくつかご紹介しているので、気になった方はどうぞ寄ってってください!

目次

子を見守り続ける父との絆

大の里の父、中村知幸(ともゆき)さんは、普段は長距離運送の仕事をしているトラック運転手。大の里の幼少の頃には父とともにトラックの布団で過ごしたともあり、当時から大の里が父親好きだったことが伺えます。

【参考記事】中村さんの満面な笑顔!:中日スポーツ・東京中日スポーツ


また、大の里が、能生(のう)中への進学を決めた際は、心配で練習や大会のたびに新潟に駆けつけています。入学して3カ月ほどたった頃に大の里から「もう僕に相撲の指導はしないで」と言い渡さといったようにちらほら余計なおせっかいを焼いている一面も。(笑)
ただ二人の絆の深さ確かです。角界入り後に「なんで勝てんげんろ」。7月場所で3勝3敗となった大の里は父にラインでメッセージを送り、知幸さんは「スピード出世にこだわらないという(二所ノ関)親方の言葉に逃げとったら、いつまでも上がれんよ」と再び父に助言を求めており、結果として大の里は昭和以降、史上初となる9場所での大関昇進という金字塔を打ち立てています。
大関の伝達式においても、「元々 父親が『唯一無二になってくれ』ってことを言っていて、その父親の思いを込めて、この言葉になりました」と、父の教えは息子の胸に確かに刻まれています。

力士とコーチの顔も

実は中村さん、学生のころに相撲で鳴らした過去を持ち、その実力も確かなものです。184㎝の体格を武器に松陵工(現北陵)高相撲部OBで全国青年大会無差別級で準優勝という素晴らしい実績を残し、高校卒業後もアマチュア力士として20代のうちは土俵に立っています。大の里の力士としての原点は、父にありといったところでしょう。
ただ、中村さん曰く、自身が相撲をやっていたからといって息子に相撲を強制したことはなく、むしろ小学生だった大の里は当時野球に興味があり、「まずは相撲で足腰を鍛えたらどうかな。それから野球をやっても」とあくまで野球のトレーニングの一環として相撲を提案しています。
そして「津幡町少年相撲教室」のコーチを務めていたこともあり、大の里は小1のころにこの相撲教室で父親の下で腕を磨いています。大の里は当時のことを「ボコボコにされましたね。指導はめちゃくちゃ厳しかったけど、父の背中を追いかけてきた。大きな存在です」と述解しており、たとえ息子でも相撲の指導に対しては妥協を許さなかったことが伺えます。その後は、元々の素質があった大の里はめきめきと頭角を現します。
ただ、小学6年の頃に一度壁にぶち当たり12歳にして大の里は新潟への相撲留学を決意。この時父とと「逃げて帰ってくるなよ」、「帰らんし」との誓いの言葉は今でも思いだされるとのこと。
なんだかんだで、大の里が相撲に興味を持ったのは父ありきですね。

総括


大の里が幕内初優勝したときは、「そりゃ涙出ますよ。やばいです」、「小さな時から一緒に相撲してきて、賜杯を抱いてくれることを夢見て、それが実りましたね。チームは力なりです。すごいやつですよ」、「エリートと言われるけど彼は雑草ですよ」などなど、感極まってこれまでの思いの丈を述べてくれています。もう大の里が大好きで仕方がない!ってのがもの凄く伝わります。(笑)

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この記事を書いた人

琴奨菊優勝を見てブログ執筆を始めたハンカチ世代。大相撲の魅力に取りつかれ観戦の日々。大相撲について気になる情報を発信していきます!何かご質問等ありましたらお気軽にご連絡ください。

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