朝青龍の引退理由のまとめ!真相は?

2019年11月3日

未だ記憶に新しい朝青龍の衝撃の引退。なぜ朝青龍は引退したのか今でも気になる人は多いです。その真相を究明するべく、朝青龍が引退するまでに至った経緯、その理由について説明しています。興味のある方はどうぞ寄ってってください。

朝青龍の暴行事件

 朝青龍が事件を起こしたのは2010年1月16日、まだ場所中(1月場所7日目)出来事でした。この時、朝青龍の年齢は29歳。

深夜に泥酔した朝青龍は、男性といざこざを起こして暴動騒動にまで発展。発覚当初は、暴行を加えたのがマネジャーだったということから、協会は厳重注意のみで済ましています。

 ところが場所を終えた28日に、週刊誌により暴行を受けた被害者男性が実は一般男性であったことが判明したことで事態は急転。一気に朝青龍引退の流れになっていきます。また、このとき暴行を受けた被害者とは既に示談が成立しており、加えて元・暴走族だったことも分かっています。

 ゴシップ記事によると、この被害者男性はもともと喧嘩っぱやい性格だったみたいで、それなりに名の通っていた人だったみたいです。また、芸能人の薬物事件とも絡んでいたいわゆる危ない人です。朝青龍との示談では、初めはかなり強気だったみたいですが、朝青龍が裏社会に通じる人を呼んで丸く収まったみたいです。本当かどうかは定かではありませんが。

 当時は事件が事件だっただけにこの事件に関する資料は探せばいくらでも出てきます。朝青龍も事件後に、「そこまで本気で殴ってない」だの結構的外れなことを言ってます。結局のところ、どれが本当のことなのかはもう本人のみぞが知るといった感じです。

 ただ朝青龍が場所中に泥酔して暴行事件を起こし、被害者男性を偽ったという事実だけははっきりしています。

そして引退へ

 朝青龍は、もともと品格や行動が問題視されていた力士でもあり、暴行事件が起きる前にも2度の厳重注意と2場所出場停止を食らっています。その中でも特に有名となった騒動が「サッカー事件」です。

 こうした再三にわたる注意があったにも関わらず暴行事件を起こし、さらに虚偽の発言をした朝青龍に協会側もついに我慢の限界がきます。

 2010年2月4日、理事会に呼び出された朝青龍は、目の前で引退か否かの多数決が取られて満場一致で引退を勧告されてしまいます。横審が設置されてからは初の引退勧告ともなりました。 

 ここでポイントとなるのは、朝青龍が被害者男性を偽る虚偽の発言をしたことが引退の決め手だったということです。仮にもし、暴行事件を起こしたときに朝青龍が真実を話していたら、また違った展開をむかえていた可能性も無きにしも非ずです。ただ、場所の休場はまず間違いありませんが。

 その後の引退会見では、朝青龍は引退にまで追いやれるとは思っていなかったみたいで、「まさか、こういうことにのみ込まれるとは頭になかった」と悔し涙を流しています。

 来たる10月3日には断髪式が行われ、朝青龍は土俵にキスをして最後の別れを告げています。

 以上、自らがまいた種とはいえ、鬼人のごとく強さを見せつけ一時代を築き上げた横綱としては、あまりにも虚しい最後としかいいようがありません。

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総括

 朝青龍は本当にとにかく最後の最後まで公私ともにメディアを騒がせた、これまでにない横綱でした。ある意味、朝青龍らしい最後だったといえます。

 ちなみに過去には朝青龍と同じく、ある問題を起こして角界を去った横綱もいるので興味のある方は次の記事をご覧ください。

記事:「39代横綱・前田山英五郎は戦後初の横綱 」